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開拓平野のチーズ    技術    二十世紀    グラーナ・パダーノ品質保護協会設立まで
 
 
 そしてチーズ工場ができる


1837年に、ルイジ・カッターネオは「チーズ製造所II caseificio」という論文の序文に、次のように書いています。「チーズ製造を支配している難解な宗式は、少しずつ昔からの日々の経験と模倣の積み重ねによって形成された。しかし、化学知識を応用しながら、チーズ製造という現象の発展は同じように成功し、他の方法では同じものは得ることが出来ないということも認識されてきた・・・」



しかし、この科学とは区別されていたチーズ製造という技術は、常に“運任せ”によるものだとされていました。
ですから、チーズ製造の過程を定義する現象の完全な認識が出来るまでは、牛乳をチーズに加工する正確な指揮というのはとれなかったのでした。
そして、独立したチーズ製造所の誕生により、やっと製造過程の改善、さらに製造量、品質の改善が行われるようになるのですが、それには十九世紀まで待たなければなりませんでした。それまでは何百年もの間、チーズ作りは田舎屋や山小屋の一部で行われていたのです。

チーズ工場が出来た結果、量に関しては1830年から1840年代にかけてわずかな期間に、グラーナ・チーズの生産量は3倍になりました。「ローディ、パヴィア、ミラノの三県でのグラーナ・チーズ生産量は1万4千トンに上り、その半分は王国内に出され、もう半分は輸出された・・・ と同時に、同じ畜牛達は5千トンのバターをも産し、一部はヴェネトの方まで輸出されていた」と、当時の様子をマリオ・ロマーニが書き残しています。
 
 
   
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